どんなに混乱した脳でも、パニックに陥った脳でも、不確かな意識の脳でも、本当に自信のある声を脳は拾う。
これができる専門家と、相手が混乱した時にあたふたしてしまい、余計パニックを助長させてしまう専門家とでは、大きな効果の隔たりがある。
心理学的、脳科学的、そして理論的説明なら、勉強をたくさんしてきた人であれば、立派なことを言えるし、それ自体価値のあるだ。
しかし、実践の場では理想通り事が進まない。
いざ問題が起きた場合、そんな理論すらパニックの現場で吹き飛んでしまうような人の声には説得力がない。
相手の混乱を抑えようと焦れば焦るほど墓穴をほってしまう。
一人の子のパニックが周りの子供に伝染して集団パニックのように、混乱ぶりが広がっていった。
集団心理の一番怖い傾向だ。
コントロールするべき大人、専門家たちは狼狽するばかりで、それが火に油を注ぐ結果になり、さらにおかしなことになっていった。
私はそれまでの経験から、どんな錯乱した人でも、火に油を注ぐことなく冷静に対応できる経験があり、ピタッとパニック状態を収めることができてきた。
自信を持っていえば、すぐに混乱した人も落ち着いてくる。
パニックが起きても投げておく、騒ぐこともない。
周りが騒ぐとますます当人は、錯乱していた脳でもちゃんと状況を見ており、もっと周囲の狼狽を吸い上げて混乱してしまう。
よく女子の間で、一人が貧血を起こしたらみんなパタパタ倒れる現象がある。
それはその子に対して、必要以上に「どうした? 大丈夫か?」とオロオロしながら青ざめた顔で怯えた声でやると本人はもちろん、他にも一気に伝染してしまう。
専門家や指導者、教師や先生の自信のなさは、どこまでいっても自分にも周囲にも不安を波紋を広げるし、一方で自信がある人の声は、ぴたっと恐慌状態もストップさせてしまう。
最近学校の教師は自信がない人が多い。
あまりにもがんじがらめになって、不安の中で教師をやっている。
だからこそ、生徒は混乱し、先生は自信喪失の中で学校が成り立っている。
とても不幸なことだ。
子供を育てるのも、人に教えるのも諭すのも、すべて「自信」だ。
学校の先生に限らず、カウンセラー、心理セラピスト、瞑想指導者なども自信、強さ、土壇場での胆力が必要だ。
誰もが自信を持ちたいと思うけれど、考えていたらますます自信喪失になる。
自信があるかどうか?
人が混乱した時、私はその場をおさめることができる自信がある。
それはそれまでの経験もそうだし、そうなるという絵を思い描けるからだ。
逆にそれができない人が、下手に手を出すと大きな失敗をしてしまう。
人は特に感情が高まった時、しかもそれがマイナスの感情の時ほど、コントロールが難しいケースはない。
そういう時こそ、説得ではない、本当の胆力、胆識が必要とされるだろう。
脳はどんな混乱時にも、聞き分けられる能力を持っている。
誰の声を聞いて、誰の声を聞かないか、ちゃんと選別してもいる。
そこが脳の恐ろしさと同時に、すごさでもある。
ただし言葉や説得では絶対に聞かない。
人の脳は実は理屈で納得するのではなく、言葉を発する者の『感覚』『エネルギー』、言ってみれば魂で納得するものだ。
混乱した脳のとき、自分でコントロールしようとしてもますます混迷を深めてしまうのはそういうことだ。
理性や知恵の力はそこでは何の役にも立たないし、パニックを収める行為そのものが、パニックを助長させてしまう。
これをおさめるのはたった1つ、ゆるぎない圧倒的なパワーとエネルギーと切れ味しかない。
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